遊びの中で「学ぶ」って、どういうこと?
積み木が崩れたとき、子どもは何をしているのでしょうか。遊びの中の「学び」を、できあがったものではなく、崩れたあとに手が止まり、また動きだすまでの時間から考えてみます。
積み木が崩れた、そのあと
高く積んだ積み木が、最後の一つを置いたところで崩れる。よくある場面です。
大人はつい、次の言葉を探します。「惜しかったね」「もう一回やってみる?」「今度はゆっくり置いてごらん」。どれもやさしい言葉です。
けれども、崩れた直後の数秒、子どもはたいてい何も言いません。散らばった積み木を見ています。そのあとで、さっきとは違う場所に手を伸ばすことがあります。下のほうの一つを、少しずらすことがあります。何もせずに、別の遊びへ移ることもあります。
その数秒に何が起きていたのかは、外からは見えません。見えるのは、次に手が動いた場所だけです。
「学び」という言葉が指しているもの
幼児期の学びは、何かを覚えることだけを指す言葉ではありません。遊びの中で、見て、考えて、やってみて、思いどおりにならなくて、やり方を変える。その一連の動きを学びと呼ぶ説明のしかたがあります。
この説明のいいところは、結果を問わないところです。塔が完成したかどうかではなく、崩れたあとに置き場所を変えたかどうかを見ます。完成した塔は写真に残りますが、置き場所を変えた瞬間は残りません。
わ碁ころ幼稚園が大切にしているのも、この残らないほうの時間です。
「できた!の手前」を、少し長く見る
わ碁ころ幼稚園では、成功の前にある、迷う、試す、待つ、言葉にしようとする過程を「できた!の手前」と呼んでいます。積み木でいえば、崩れてから次の一つに手が伸びるまでが、そこにあたります。
子どもの行動を急いで評価せず、その奥にある気持ちや過程を見ようとする姿勢は「まなざし」と呼んでいます。
どちらも、特別なことをするための言葉ではありません。見ている時間を、少しだけ長くする。それだけの言葉です。
声をかける前に、できること
崩れた場面での関わり方には、たとえば次のようなものがあります。どれか一つが正解というわけではありません。
- すぐに声をかけず、子どもが次に何をするかを見る。
- 声をかけるなら、評価ではなく、見えたことを言う。「下のほう、さっきと変えたんだね」
- 手伝うのは、子どもが「やって」と言ってからにする。
- 別の遊びへ移ったなら、それも一つの選択として受けとめる。
危ないことや、ほかの子への加害がある場合は別です。そのときは、まず止めて安全を守ります。
そして、いつもこう関われるわけではありません。急いでいる朝や、余裕のない夕方があります。それでかまわないと思います。
崩れたあとに、その子はどこへ手を伸ばしましたか
お子さんが何かうまくいかなかった場面を、一つ思い出してみてください。そのあと、その子はどこに手を伸ばしましたか。
思い出せなくても大丈夫です。次に同じような場面が来たとき、数秒だけ長く見ていられたら、それで十分だと思います。
