意見が合わないとき、遊びの中では何が起きている?
「順番だよ」と止める前に、二人が何を決めようとしていたのかを見る時間があります。もめている場面を、社会性の問題としてではなく、二人の相談として見てみます。
「かして」「まだ」で止まっている二人
同じ電車を二人が持ちたがっています。「かして」「まだ」。それだけを何度も繰り返しています。
大人はここで、たいてい入ります。「順番ね」「三十数えたら交代」「けんかしないの」。入るのには理由があります。長引くと泣きますし、そばに大人がいるのに止めないのは無責任に見えます。
ただ、入る前の十数秒に何が起きているかを見ると、二人は同じことを繰り返しているようで、少しずつ何かを変えていることがあります。声の大きさが変わる。持ち方が変わる。片方が別のおもちゃを差し出す。「じゃあこっちは?」と言う。
うまくいくとは限りません。それでも、決め方を探しているように見える時間が、そこにあります。
「社会性」を、みんなと同じにすることと言いかえない
社会性や協同性という言葉は、「みんなと同じことができる」という意味で使われることがあります。順番が守れる。譲れる。輪に入れる。
その意味だけで使うと、譲った子が育っていて、譲らなかった子が育っていない、という見方になります。けれども、譲らなかった側にも、そのとき言いたかったことがあります。
もう少し狭くとると、こうなります。
意見が合わないとき、二人はどうやって決めたか。
大人が決めたのか、片方が引いたのか、二人で新しい案が出たのか。どれもあり得ますし、毎回同じである必要もありません。見たいのは結果ではなく、決め方が二人の側にあったかどうかです。
「怒る前に見る」の、見るほうについて
わ碁ころ幼稚園では、必要な安全を確保したうえで、責める前に事情と気持ちを見る姿勢を「怒る前に見る」と呼んでいます。「怒らない教育」の標語ではありません。
そして、行動を急いで評価せず、その奥の気持ちや過程を見ようとする姿勢を「まなざし」と呼んでいます。
もめている場面では、この二つが同時に要ります。何が起きたのかを見て、そのうえで、どちらの子も悪い子として固定しないでおくことです。
入る前に、十数える
言い合いの場面には、たとえば次のような関わり方があります。
- 手が出ていないうちは、十数える間だけ見てみる。
- 入るときは、裁定ではなく、見えたことから始める。「二人とも、この電車がいいんだね」
- 「どうしたらいいと思う?」を、答えが出なくても聞いてみる。出なければ、こちらが決めてよいと思います。
- どちらかを謝らせて終わりにしない。謝ることと、納得することは別です。
手が出たとき、噛んだとき、危ないものが関わるときは別です。そのときは、まず止めて安全を守ります。見るのは、そのあとです。
そのとき、二人はどうやって決めましたか
最後にもめていた場面を思い出してみてください。決めたのは誰でしたか。大人が決めていたとしても、それが悪かったわけではありません。次にもう十秒だけ待てるかどうか、というだけの話だと思います。
