作品

ただいま、
こうじちゅう

――紙の町と、せんたくものの山

まだ一度も、できあがったことのない紙の町。「ずっと、できてない!」と、町の前に立ちはだかった男の子。その子がティッシュの空き箱でつくった、せんたくものの山。そして、「今夜こそ、ぜんぶ、たたみます」と言ったお母さん。毎日くずされていた山のわけを、お母さんが知るまでのお話です。

一 できあがらない町

わ碁ころ幼稚園には、まだ一度も、できあがったことのない町があります。

かぼちゃの形をした園舎の、いちばん奥の部屋。そのすみの床に広げた、大きな段ボールの上にあります。

紙の町、と呼ばれています。工作の作品というより、子どもたちが「あしたも、つづきをしたいもの」を置いておく場所です。

はじまりは四月でした。だれかがクレヨンで、線を一本引きました。次の日、べつのだれかが、その先にくねっと曲がった線をつなげました。それが、この町の最初の道です。

それから半年あまり。町には牛乳パックの家が建ち、折り紙の木が生え、丸いシールの信号がつき、お菓子の箱の駅ができました。

赤いポストもあります。なかに何が入っているのかは、だれも教えてくれません。

なんにもない箱もあります。こちらはほんとうに、なんにも入っていません。それでも、とても大事なものだそうで、うっかりさわると、年長の、ののかちゃんに注意されます。わたしも一度、注意されました。

朝の自由遊びの時間になると、何人かが町のまわりに、はらばいになって集まってきます。そして毎日、何かを足していきます。家を一軒。道を一本。ときには、きのう建てた家を、きょう建てなおします。

だから、この町には、いつもどこかに看板が立っています。

 こうじちゅう

小さな紙にそう書いて、ストローの柱に貼り、ねんどの台に立てたものです。字のとなりには、たいてい黄色いヘルメットの人が描いてあって、深々とおじぎをしています。

お手本は、園の前の道路です。

春から、ずっと工事をしているのです。紙の町と、ほとんど同い年です。フェンスにはヘルメットの人がおじぎをしている看板がかかっていて、「ただいま工事中 ご迷惑をおかけします」と書いてあります。子どもたちは毎朝その前を通って登園してきます。そして、あの看板が大好きです。

おかげで紙の町では、あちこちで小さな人がおじぎをしています。たぶん、日本でいちばん、あやまっている町です。

一度、年中のそうたくんに聞かれたことがあります。

「まゆせんせい。あのかんばん、なんで、ただいまって、いってるの?」

「ここの『ただいま』はね、『いま』っていう意味なんだよ」

わたしは、できるだけていねいに説明しました。そうたくんは最後まで、まじめな顔で聞いていました。それから言いました。

「でも、ただいまは、ただいまでしょ」

それ以来、そうたくんは、あの看板の前を通るたびに、小さな声で「おかえり」と言っています。

二 ずっと、できてない

ある日の夕方、そうたくんのお母さんの、まきさんが、いつもより少し早くお迎えに来ました。

まきさんは肩の鞄をかけなおしながら、紙の町の前で足を止めました。

片手には、スマートフォン。そのケースには、いつも、ふせんが一枚貼ってあります。その日やることが小さな字でびっしり書いてあって、終わったものから一本ずつ、線で消していく。線を引く瞬間が、一日でいちばんすっとするのだと、前に話してくれたことがあります。

その日のふせんは、まだ線より字のほうが、ずっと多いようでした。

「すごいですね……」

まきさんは、しばらく町を見わたしてから言いました。

「これ、いつ完成するんですか?」

駅に色をぬっていたそうたくんが、顔をあげました。

「かんせいって、なに?」

答えたのは、となりで道を引いていた、ののかちゃんです。

「できあがること」

そうたくんは、少し考えました。

「できあがったら、どうなるの?」

「……おしまい」

そうたくんの顔が、さっと青くなりました。

そうたくんは、近くにあった「こうじちゅう」の看板をつかむと、町のまんなかに、どんと置きなおしました。それから両手を広げて、町の前に立ちはだかりました。

「まだ、できてない!」

そして、ひときわ大きな声で言いました。

「ずっと、できてない!」

「ずっと、できてない」を、こんなに誇らしげに言う人を、わたしは、はじめて見ました。

ののかちゃんは、何も言いませんでした。かわりに、そうたくんの看板のとなりに、もう一本、そっと看板を立てました。

まきさんは、ふきだしました。

「そっか。ずっと、できてないんだ」

それから、手もとのふせんに目を落として、小さな声で言いました。

「……うちも、ずっと、できてないけどね」

三 そうたくんの、おうち

次の朝、そうたくんは登園するなり、宣言しました。

「きょう、ぼくのおうち、つくる」

「どうして?」

「うちも、できてないから」

きのうの、まきさんのひとりごとは、小さな声のわりに、ちゃんと遠くまで届いていたようです。

紙の町には、もう何人かの子のおうちが建っています。牛乳パックのおうち、ヨーグルトのカップのおうち、屋根に折り紙をのせたおうち。

そうたくんが選んだのは、ティッシュの空き箱でした。

「そうたくんのおうちには、なにがあるの?」

ののかちゃんが聞きました。ののかちゃんは、町のものは、なるべく、ほんとうのとおりにつくりたい人なのです。

そうたくんは腕を組んで、しばらく動かなくなりました。

それから工作の棚へ行って、お花紙を両手いっぱいに集めてきました。白、水色、黄色。くしゃくしゃに丸めては箱に入れ、丸めては入れる。

やがて、ティッシュの箱の取り出し口から、もこもこしたものがあふれだしてきました。ティッシュの箱としては、むしろ正しい姿です。

「これは、なあに?」

わたしが聞くと、そうたくんは、とてもうれしそうに答えました。

「せんたくものの、やま」

山ができても、そうたくんの手は止まりませんでした。

しましまにぬった小さな紙きれを一枚、山のてっぺんに、旗のようにのせます。

「これは?」

「ぼくの、パンツ」

いつも、いちばん上にあるのだそうです。

それから、山のまんなかあたりに、ピンクの丸いシールをひとつ貼りました。

「これは?」

「ママ」

「ママ、山の中にいるの?」

「たたむとき、ここに、すわるの」

そうたくんはシールを指でおさえたまま、まじめな顔でつけたしました。

「でも、ママ、すわると、ちょっと、とまるの」

とまる。

どういう状態なのかは、聞かなくても、だいたい分かりました。わたしにも、おぼえがあります。たためば、すぐ終わるのです。分かっているのです。それなのに、すわった瞬間、体のどこかで小さな電池が、ぷつんと切れる。

大人が「ひと息」と呼んでいるものの、たぶん、いちばん静かなかたちです。

お迎えの時間になれば、おうちの方たちが、この町をのぞいていきます。わたしは一瞬だけ考えました。このおうちを、町のすみの目立たないところへ、そっと引っこしさせておこうか、と。

でも、そうたくんは、おうちの前に、もう看板を立てていました。おじぎの人つきで。とても誇らしそうに。

わたしは、引っこしをやめました。

四 ご案内します

その日のお迎えの時間も、ののかちゃんは紙の町の前に立っていました。

少し前から、ののかちゃんは町の案内係をしています。だれに頼まれたわけでもありません。どこで覚えたのか、ことばづかいは、なかなか本格的です。

「ご案内します」

ののかちゃんが両手を前でそろえると、まきさんと、ののかちゃんのお母さんのゆうこさん、それから、ほかのおうちの方が何人か、町のまわりにしゃがみました。

「こちらは、ママの道です」

ののかちゃんは、町のはしから部屋の入口のほうへのびる、太い線を指しました。

「おむかえのとき、ママたちが、とおります。いつも、いそいでいるので、まっすぐです」

しゃがんでいたお母さんたちが、いっせいに少しだけ笑いました。

だれかのお父さんが、遠慮がちに手をあげました。

「……パパは?」

ののかちゃんは少し考えてから、言いました。

「とおって、いいです」

「こちらは、待つ石です」

次に指したのは、にぎりこぶしくらいの、園庭の石でした。

「まてないときに、ちょっと、すわるところです。ママたちも、すわって、いいです」

みんな、石を見ました。それから、なぜか少しだけ、すわりたそうな顔になりました。

ののかちゃんは、ティッシュの箱の前で止まりました。

「こちらが、そうたくんの、おうちです」

となりで、そうたくんが、うれしそうに背のびをしました。

「みどころは、せんたくものの、やまです」

おうちの方たちが、いっせいに身を乗りだしました。

ティッシュの箱から、白と水色と黄色の山が、もこもことそびえています。てっぺんには、しましまのパンツ。まんなかには、ピンクのママ。

「……リアル」

だれかが、小さな声で言いました。

まきさんの顔が、ゆっくり赤くなっていきました。わたしは、引っこしをやめたことを、ほんの少しだけ後悔しました。

最初に口をひらいたのは、さっきのお父さんでした。

「……うちにも、あります」

ゆうこさんが、山をのぞきこんで、深くうなずきました。

「うちのほうが、高い」

「……え?」

「標高でいったら、うちの勝ち。うちはね、もう、山脈」

おうちの方たちが、こらえきれずに笑いだしました。まきさんも、最後には肩をふるわせて笑っていました。

帰りぎわ、まきさんは、わたしのそばに来て、小さな声で言いました。

「……今夜こそ、ぜんぶ、たたみます」

登山の前の人のような顔でした。

五 ただいま、こうじちゅう

次の朝、まきさんは門のところでわたしを見つけると、笑いをこらえるような顔で言いました。

「先生。……ぜんぶは、たためませんでした」

それから腕時計を見て、「くわしくは、夕方に!」と言うと、駅のほうへ走っていきました。

わたしは一日じゅう、気になってしかたがありませんでした。

ここからは、夕方、まきさんに聞いた話です。

ゆうべ、夕ごはんのあと、まきさんはソファーの山の前にすわりました。きょうこそ、ぜんぶたたむ。そう決めて、いちばん上のパンツに手をのばしました。

それを見たそうたくんの顔が、さっと青くなりました。紙の町の前で見たのと、たぶん同じ顔です。

そうたくんは何も言わずに、玄関のほうへ走っていきました。

まきさんが首をかしげていると、玄関から大きな声がしました。

「ただいまー!」

走ってもどってきたそうたくんは、そのまま頭から、山にとびこみました。

山は、半分くらいの高さになりました。

「……なにしてるの」

山の中から、くぐもった声がしました。

「ただいま、してるの」

幼稚園から帰ってきたら、いちばんに、ここでするのだそうです。毎日。

そうたくんは山の中から、ひとつずつ説明しました。お休みの日に、とりこんだばかりの山は、ぽかぽかで、おひさまのにおいがすること。ママのシャツのところが、いちばん、おちつくこと。

それから、山から顔だけ出して、聞きました。

「たたんだら、あしたの、ただいま、どこでするの?」

まきさんは、答えられませんでした。

そのあと、そうたくんはチラシとクレヨンを持ってきて、床にすわりこみました。チラシの裏に描いたのは、黄色いヘルメットの人です。深々と、おじぎをしています。

「ママ。ここに、『ただいま こうじちゅう』って、かいて」

まきさんは言われたとおりに書いて、それから聞きました。

「この人、だれ?」

「ぼく」

「どうして、そうたが、あやまってるの?」

そうたくんは、当たり前のことを聞かれた、という顔をしました。

「だって、くずすの、ぼくだもん」

そして、山を指さしました。

「ママが、つんで、ぼくが、くずすの」

――話がそこまで来たところで、まきさんは門の前で、とうとう笑いだしました。

「……共同作業だったんですね、あの山」

わたしも笑いました。

「わたし、毎日、『くずさないで〜』って言ってたんですよ。あれ、ただいま、だったんですね」

まきさんはそう言ってから、正直につけたしました。

「くずさないでほしいのは、いまも、ちょっと、ありますけど」

それから、少しだけ、まじめな顔になりました。

「わたし、あの山を見るたびに、『まだ、できてない』って言われてる気がしてたんです」

まきさんは、それ以上は言いませんでした。わたしも、何も言いませんでした。

「……それで、山は?」

しばらくしてから聞くと、まきさんは、ふっと笑いました。

「半分だけ、たたみました。あしたの服と、タオルだけ」

そう言って、手にしていたスマートフォンを、こちらに向けました。

ケースのふせんの「せんたくもの」のところには、線が引かれていませんでした。かわりに、そのとなりに、小さな字でこう書きたしてありました。

 こうじちゅう

六 おかえり

先週、園の前の道路工事が、とうとう終わりました。同い年の紙の町より、ひと足先の完成です。

フェンスがはずされ、おじぎの看板も、どこかへ運ばれていきました。新しくなった道の前で、そうたくんは少しさみしそうでした。毎朝「おかえり」を言っていた相手です。

「おじぎのひと、かえっちゃった」

それから、園舎のほうをふりかえって言いました。

「でも、だいじょうぶ。こっちに、いっぱい、いるから」

たしかに、紙の町のおじぎの人は、このところ、ふえる一方です。看板やさんができたのです。店主は、ののかちゃんと、そうたくん。ののかちゃんが字を書いて、そうたくんが、おじぎの人を描きます。

最初のお客さんは、ゆうこさんでした。

「山脈なので、三枚ください」

わたしの机にも、一枚立っています。注文した覚えは、ありません。

まきさんの家の山には、いまも、そうたくんの看板が立っているそうです。ソファーのひじかけに、セロハンテープで。

山の高さは、日によって、ちがうそうです。

そうたくんの「ただいま」は、毎日、同じだそうです。

※この作品に登場する「わ碁ころ幼稚園」と人物・出来事は、わ碁ころ幼稚園の教育観をお伝えするための創作です。実在の施設・人物ではありません。